牛岩洞ソマク村 (우암동 소막마을)
近代歴史文化遺産
- 住所
- 釜山広域市南区牛岩繁栄路(ウアムボニョンロ)19
- 営業時間
- 毎日 常時
- アクセス
- バス:134、23、26、68、138-1、168番で南部中央セマウル金庫下車、徒歩3分
紹介
光陰矢の如しと言うが、ここだけは時の流れが遅いようだ。密集する古びた小さな家々、その間に伸びる小さな路地。独特な風景がレトロな感性を刺激するが、実は悲しい歴史を秘めている場所だ。そんな、牛岩洞ソマク村に行ってみよう。 ここは日帝強占期に、日本が韓牛を収奪するための拠点を設けた場所だ。釜山港の東港から最も近いここに牛舎と検疫所を設置し、大々的に韓牛が日本に送られた。光復後は日本から引き揚げてきた人々が、韓国戦争中は多くの避難民が、ここ牛岩洞の牛舎の跡に住むようになってソマク村が誕生した。人口に比べて空間が非常に狭かったため、牛舎と牛舎の間にもバラックが所狭しと建てられた。 屋根の上に畜舎の通気口が見える。スレートで増築したようだが、元々木製の牛舎だったことが分かる。日帝強占期には数十棟の牛舎があったそうだが、今ではこのように部分的な名残りが残るのみだ。 ソマク村の路地は、大人二人がようやくすれ違えるほど狭く、迷路のように絡み合っている。かつての牛舎の面影は残っていないが、古い軒と格子、地面の下水道の蓋など、今でも収奪と避難の名残りはそのまま残っている。にもかかわらず、今日のソマク村には笑い声が絶えない。 歳月の跡がにじむ路地には、色とりどりの壁画が描かれている。かつての面影をそのまま保存しつつ、居住環境を改善するための取り組みが行われている。色とりどりの壁画は、寂しい路地にぬくもりを与えている。 釜山を代表する料理の一つである小麦冷麺が最初に作られたのも、ここソマク村だ。咸興で冷麺の商売をしていたおばあちゃんが、避難先の釜山で冷麺と小麦冷麺を一緒に売り出したのが、釜山の小麦冷麺の元祖である。看板の「since1919」が目に留まらなくても、市場の雰囲気を見ればここが元祖だと分かるはず。 建物の上の大きなキリスト像が両腕を広げる東港カトリック教会も、ソマク村の歴史を語る上で欠かせない場所だ。美しい釜山港大橋の夜景スポットとしても有名だが、ソマク村の住民のために献身してきたカトリック教会の歴史は、はるかに大きな感動として胸に迫ってくる。韓国戦争直後のテント小屋の礼拝堂の時代から、60年以上にわたって貧しい牛岩洞の住民たちを支えてきた。 路地に足を踏み入れるときはワクワクする気持ちだったが、村を後にしながら韓国の悲しい歴史を胸に刻む場所。それが、牛岩洞ソマク村だ。